もうすこしで天竺

読書記録など。

マルクス『経済学・哲学草稿』

 あまりにも素晴らしかった。

 マルクスの思想で「疎外」という言葉が大事なのは聞いていたけど、それがこうも深い意味だったとは。というか、マルクスがここまで人間的なことを語っているとは思わなかった。よくわからないまま植えつけられている「極左」的なイメージ、人間性をともなわないメカニカルなイメージとは随分違う。

 

 基本的な主張は、「自分の人生は自分のものではない」ということ。自分の生産物(自分が人生という時間を消費して生み出したもの)は他人のものとなる。他人はそれを金で買う。だから人は、自分のものではない対象を生産し続ける限り孤独であり続ける。自分自身と一致した対象を作り出し、自分の元へと還元しなければならない。

 

 大まかに言うとこういうことでいいのかな。恐らくそういうこと。「解説から読んだほうがいい」と聞いたことがあったので、そうした。しかしマルクス自身の言葉のほうが、ずっと力強い。大切なことを語っているということが、文体から伝わってくる。経済学的な意味でも、哲学的な意味でも。

 

 特に印象的だったのが、最終章の「お金」という部分。備忘録がてら、一部引用する。

わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まることではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。

 こうして金によって美醜という対立する二者は転倒する。金以外のものに本質的な価値はない。金は「相矛盾するものにキスを強要する力」だと書かれている。ものすごく悲しい人間観。しかしマルクスは、そこから脱出することを目指している。

人間は人間として存在し、人間と世界との関係が人間的な関係である、という前提に立てば、愛は愛としか交換できないし、信頼は信頼としか交換できない。芸術を楽しみたいと思えば、芸術性のゆたかな人間にならねばならない。他人に影響を与えたいと思えば、実際に生き生きと元気よく他人に働きかける人にならねばならない。人間や自然にたいするあなたの関係の一つ一つが、輪郭のはっきりした、あなたの意志の対象に適合した、あなたの現実的・個人的な生命の発現でなければならない。あなたが愛しても相手が愛さず、あなたの愛が相手の愛を作り出さず、愛する人としてのあなたの生命の発現が、あなたを愛される人にしないのなら、あなたの愛は無力であり、不幸だと言わねばならない。

なるほど、確かに金は恐ろしい力を持った媒介かもしれない。しかしそれはもしかすると、対象と一致した自己自身、マルクスが目指す生の形を見つけ出す判断材料となるかもしれない。金を通さずとも交換できる対象。

 にしても、金について愛や性の比喩を使って語ることの多いマルクス。とてつもない悲恋を経験したことのある人のような気がする。だからこそマルクスは、本質的には孤独を主題としているのでは。

 

 世界を見るもう一つの目を与えてくれた。読んだことは、間違いなくこれからに活きる。

 

経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)

経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)