もうすこしで天竺

読書記録など。

映画『ザ・ターニング』【ネタバレあり】

ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を原作とした映画。

 

ある屋敷に住み込みの教師として兄と妹の二人を教えることになったケイト。だが屋敷はいかにも幽霊屋敷然としており、二人の教え子も、お手伝いさんもどこか不気味な雰囲気を漂わせている。

 

『ねじの回転』は19世紀の作品だが、こちらの映画の舞台は20世紀。90年代くらいで、車もあれば電話もある。「住み込みの経験はありますか」と問われたケイトは、「19世紀じゃないんだから」と原作を意識した一言。

 

ただ、19世紀の女性教師が不気味で不愉快な雇われ先からなかなか逃げ出せない理由はわかるのだけれど、もうじき21世紀になるという欧米社会に生きる女性が、そこから逃げ出さない理由がよくわからなかった。不気味なだけじゃなくて侮蔑、侮辱のオンパレードなのだけど……。

 

屋敷にある植え込みは、迷ったら出てこられないという。これは『シャイニング』のオマージュかな。

 

【ネタバレ】

 

 

不気味な雰囲気の理由は、かつて屋敷に住み込みで勤めていた使用人と前任の教師の幽霊に祟られていたから。だがその「幽霊」が実在するかははっきりとせず、結局ケイトが精神に不調をきたしたせいで経験している幻視・幻聴であった可能性を拭えない。

 

だけどさあ……その不調の原因が遺伝病かのように描かれること、つまり幽霊の恐怖が自分の親への恐怖にすり替えられるかのような描き方にはいまいち納得できなかった。

 

メイドの女性が言うように、「親は選ぶことができない」。親によってなにか苦痛がもたらされるとしたら、それを人はなかなか避けることができないのは多くの場合に当てはまる。ホラーでそのような「選びがたい苦痛」を恐怖の原因に据えることはけっこうあるだろう。

 

しかし、そのことと屋敷での恐怖体験がかみ合っているようには思えなかった。それは教え子のマイルズやフローラが、いかにも「ちょっと普通じゃない」描かれ方をされていることも関係あるだろう。彼らの描かれ方は、幽霊に取り憑かれているというよりも、彼ら自身が半分精神に不調をきたしているような感じ。つまり、彼らの恐怖はファンタジーではなく極めて現実的な恐怖。「なにをされるかわからない」という恐怖。どうして他者への恐怖が自分への恐怖に切り替わるのだろう? その切り替わり方が唐突で、いまいち納得できなかった。

 

エンドロールで、ケイト(?)の手が屋敷の壁を伝っていく映像と、幽霊となった前任の先生が水の中で揺蕩う映像。これはなかなかセンスがあって良かった。