もうすこしで天竺

読書記録など。

かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』

これは物語であるというよりは、「核なき世界はどのようにして達成されるか」という政治的なシミュレーション。

 

主人公の原潜艦長・海江田は、探信音を敵に当てることで魚雷攻撃の予告をするという「シミュレーション的な」戦術をとると作中で描写されるから、彼の航海はもちろん架空戦記、戦術的なシミュレーションであると作者は明確に宣言している。だがそれよりも主眼に置かれているのは、政治的な模擬実験。だから海江田は、途中から軍人ではなく政治家へと転換したとアメリカ大統領から評価される。

 

海江田を通して行われる作者の政治的な実験は、まずは世界のあらゆる核攻撃に対し自動的に反撃するという、国家に所属しない「沈黙の艦隊」を設置するという案(『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』を思い出させる)。だがそれはブラフだったことが明らかになり、本当の海江田の策は、自分自身が世界の理想を体現する存在となり、核の使用への楔を打つこと。彼の活動を通して、あらゆる人間が国境を超えた「世界市民」として目覚めることになる。そうすれば、核はおろか武力行使は払拭されるか、あるいは限定的なものにとどまる。

 

この国境を排するという案は、内田樹中田考一神教と国家』や中田考イスラーム 生と死と聖戦』で触れられていた世界観を思い出させるもので、90年代に書かれたものだが現代性があると思った。

 

だがそれよりも大事だと思ったのが、海江田の理想主義を貫く姿勢。

「核なき世界」や「武力の廃止」を訴えることは、もちろん理想主義と現実主義の対立を招く。結末前のアメリカ大統領や各国政治家、あるいは軍事企業の実力者(これは完全に悪役だが)が現実主義者で、国連事務総長や日本の首相が理想主義者。少なくとも何とか機能している現状を保とうとするか、それともより良い現実を築くビジョンを実現するためにリスクをとるか。海江田は徹底して、実利ではない夢のような理想を抱かせることを通して、人を動かそうとする。

 

もちろん、人を動かす理想が歪んだものであったら非常に危うい。ナチスの純血主義や戦前の軍国主義もある意味では理想主義だっただろう。

だが皮肉めいた薄っぺらなリアリズムが幅を利かすのを見ていると、理想を抱き続けることは大切だと改めて思わされる。

 

絵がほぼ完全な記号なのは、物語ではなくシミュレーションだからご愛嬌。でも読むのはとても疲れる。

沈黙の艦隊(1) (講談社漫画文庫)

沈黙の艦隊(1) (講談社漫画文庫)